トルコの時代
トルコ大使館

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2003 Year of turkey in japan
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トルコ共和国概要
木村氏寄稿文
日本とトルコの民間友好史
Wカップ 日本・トルコ戦
エルトゥールル号の遭難事件
大島村民と69名の生存者
快男児・山田寅次郎
テヘランに孤立した日本人を救出したトルコ航空
日本とトルコの民間友好史
テヘランに孤立した日本人を救出したトルコ航空
日本とトルコの友好のきっかけをつくったエルトゥールル号の遭難事故は、いまや歴史の彼方、日本では小中学校で教えられることもなく、「地方史のエピソードのひとつ」とった扱いしかされていないようだ。しかし、トルコでは社会科に当たる授業でこどもたちに教えられてきていた。それを実証するできごとがあった。場所はイランの首都テヘラン。時は1985年(昭和60年)。イランへ侵攻したイラク軍との, いわゆる“イ・イ戦争”のさなかのこと。イラクの大統領サダム・フセインは、5年前から始まったこの戦争の長期化にしびれをきらし、「3月20日午後2時(日本時間)」をタイムリミットとして、この期限以降にテヘラン上空を飛ぶ航空機は、“軍用機であろうと民間航空機であろうと、いかなる国の機体であろうと、すべて撃墜する」と布告した。
テヘラン在住の日本人は、技術関係者や商社関係の家族など約1000名。事前に国外脱出をしていた人たちもいただが、およそ300名が期限を目前に空港ロビーにかけ込んできた。
ドイツやイタリア人は自国の航空会社の臨時便で次つぎに退去していくが、日本人は埒外。どこの航空機も自国民優先なのだ。日本の外務省は日本航空に緊急の救援機派遣を求めたが、「帰路の安全が保証されていない」ことを理由に、派遣を見合わせるといってきた。空港にとり残された日本人は、最終的に200人あまり。刻々と迫るタイムリミット。テヘランの日本大使館の野村豊大使は、この事態を何とか打開しなければと、日頃から親交のあったトルコ大使館のビルレル大使に窮状を訴えた。
「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」
大使の要請を受けたトルコ航空は、すかさず2機の航空機をテヘランのメヘラバード空港へ飛ばし、215名の日本人全員を乗せ、タイムリミットぎりぎりにトルコ領空へとって返したのだった。

エルトゥールル号の遭難は大きな悲劇だったが、民間レベルの友好と親善の始まりでもあった。技術協力、経済協力、トルコ北部大地震の被災地への支援・・・。日本とトルコの親密で、良好な関係は、一朝一夕で築かれたものではない。日本からの旅行者が年々ふえていることもうれしい。一度訪ねると、二度、三度と行きたくなる。筆者はまだ三度しかトルコを旅していないが、数年前に訪ねたアナトリア地方の農家のおじさんは、筆者の肩をたたいて言った。
「わしらとあんたがた日本人とは兄弟なんだ。たぶん、1万年も前からね。だから何ごとも分かり合えて、うまくいくのさ」
その時にすすめられたチャイの、何とうまかったことか。こんどは北部の村や町を訪ねてみたい。
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