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| なぜトルコ共和国で考古学の発掘調査を行うのか |
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トルコ共和国には「文明の坩堝」、「東西文明の交錯地」、「民族の通過地」など色々な表現がされる。他の地域でも同様なことが言われることがある。しかし、実際にこの地で考古学の発掘調査を行っているとトルコが正しく東西、南北の文明の十字路であることが嫌と言うほど思い知らされる。世界史、特に古代史がそのままびっしり詰め込まれているのがトルコであるとい言って過言ではない。
文化、文明、宗教、地域間の紛争、さらには政治、経済の混乱で世界はカオスの状態になっており、それの背景を探ろうとするところに文化、文明表舞台に急遽取りあげられているのかもしれない。日本で考古学の発見が続き、マスコミで大きく取りあげられるのも己のアイデンティティーを求める気持ちが背景にあるからと考えている。日本は数民族によって構成された国家ではあるが、これまで決して世界史に強烈な影響を与えたとは言い難い。
世界史の中心的舞台とも言えるトルコ共和国で日本が考古学の発掘調査を行い、世界の歴史、文化の変遷過程を辿るのは、これからの日本にとっても大きな指針となることは間違いないと考えている。 |
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| (財)中近東文化センターの発掘調査 |
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(財)中近東文化センター(総裁三笠宮崇仁親王殿下)は、1985年、トルコ共和国のほぼ中央部に位置しているカマン・カレホユック遺跡で予備調査、1986年に本格的発掘調査に入り現在に至っている。この調査の主目的は、これまでこの地にどの様な民族が入り、どの様な文化を残したのかを確認すること、つまり考古学で言うところの文化編年の構築である。これに関する研究は、トルコをはじめ欧米の研究機関が19世紀後半から20世紀前半にかけて行ってきた。なぜ、彼らが構築した文化編年にわれわれ日本人が執着するかであるが、これはわれわれが一度としてその作業を行ってきていなかったからであり,常に借り物の世界史を用いていたがためであろう。容易に言うと、われわれが世界の歴史を見る上での尺度は、すべて他からの借用であった。
(財)中近東文化センターは、1986年の発掘調査から現在まで4文化層を確認している。第1層、16、17世紀のオスマントルコ時代、第Ⅱ層、前12〜4世紀の鉄器時代、第Ⅲ層、前20〜12世紀の中期・後期青銅器時代、第Ⅳ層、前30〜20世紀の前期青銅器時代である。現在、盛んに第Ⅳ層の発掘中である。ここまで17年を要したが、カマン・カレホユックの全体像を把握する上ではこれから少なくとも30年はかかるはずである。つまり、約半世紀をかけてカマン・カレホユックの文化編年の構築は完了するはずである。これが日本にとってあまりにも長い月日かの答えは未だ持ち合わせていない。ただ、一つ言えることはトルコも欧米もこの無駄とも言える作業を淡々と一世紀以上に渡って行っていることである。 |
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